中野浩一の妻はnaomi?子供や年収も!競輪の伝説をまとめてみた!

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年収1億円のプレイヤー

 

と聞いたら誰を思い浮かべますか。年収1億円なんて途方もない数字を叩き出せる人はそうそう居ませんし、日本国内でもそこまで

沢山の人がいるわけでもありません。しかし探してみると意外といるもんで、有名な人でも本田圭祐、松井秀喜、イチローなど、世界で

活躍されている方の名前が次々と地中にいるモグラのように出てくるものです。

しかし、年収一億円のプレイヤーであるにもかかわらず、中々世間に出てこない人がいるのです。しかもその人にはとてつもない伝説が

付き纏っているうえに、とある記録も出ています。

 

今回はその人についてまとめていきましょう。

 

世界のナカノこと中野浩一

top_nakano1

 

その人とは、元競輪選手の中野浩一(60)さん。アートネイチャーのCMに出演していた事から、カツラを公表した有名人と覚えている方も

多いようですが、実はそんなに甘いものではないのです。

この人は今言った通り、元は競輪選手であり、競輪選手の時は登録番号8959で、それを引退した今は公益財団法人JKA特別

顧問であり競輪解説者、日刊スポーツ競輪担当評論家であり公益財団法人日本自転車競技連盟理事であり、スポーツコメン

テーター・タレントであったりと実に様々なところに籍を置いている、競輪選手や競輪ファンならば絶対に知っているくらいの有名人で・・・

競輪選手ならば絶対に目標にするであろう人物なのです。

 

なんとこの人、競輪選手として活躍していた時には、日本国内だけではなく海外の競輪の大会に出場して、未だに誰も成し得

なかった快挙である、競輪世界大会10連覇を成し遂げてしまい、日本初の年収一億円のプレイヤーとなった生ける伝説

とんでもないスーパーマンなのです。それで通称が、世界のナカノ。

 

日本国内での大会を勝ち続けている人は結構な数居ますけれど、海外の大会で勝ち続けている人なんてそうそういませんし、未だに

そのような快挙を達成された方はいません。そして、今となっては様々な人が年収一億円プレイヤーとなって活躍をされていますけれど、

この人はそれを初めて達成した人、即ち元祖一億円プレイヤーなのです。

今まで様々な年収一億円プレイヤーを見て来ましたが、やはりそういう人を見て思うのが、

 

「日本で一番最初に年収一億円プレイヤーとなった人はどんな人で、どんなプレイヤーなんだろう。今はどんな生活をしているのだろう」

 

という疑問でした。

その疑問に答えてくれたのがこの中野浩一さん。しかもその記録は日本国内でも国外でも目覚ましいものであり、競輪の生まれ故郷

であるヨーロッパでは英雄扱いされているそうです。中野さんは福岡県生まれの方ですので、世界に誇る、競輪界最強の福岡県民

というわけでもあります。福岡県民、羨ましい。

 

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その年収は、とんでもない。

中野さんが国内で取った成績

日本大会

1976年
競輪祭(新人王)(小倉競輪場)

1977年
賞金王(66,139,600円)

1978年
競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
賞金王(82,385,200円)

1979年
オールスター競輪(岸和田競輪場)
賞金王(92,186,200円)

1980年
オールスター競輪(いわき平競輪場)
競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
賞金王(111,410,600円。日本プロスポーツ選手史上初の年間獲得賞金1億円突破

1981年
日本選手権競輪(千葉競輪場
競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
賞金王(107,685,711円

1983年
競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
賞金王(109,093,600円。史上最多の6回目の座に就く)

1985年
KEIRINグランプリ(立川競輪場。初代優勝者)

1987年
競輪祭競輪王戦(小倉競輪場。同大会最多優勝記録(5回)達成)

1988年
全日本選抜競輪(青森競輪場)
オールスター競輪(岸和田競輪場)

1989年
全日本選抜競輪(前橋競輪場)
年間賞金王6回
通算出走回数1236回中1着666回
優勝回数 169

世界大会

1977年-1
ベネズエラ、サン・クリストバル大会

1978年-2
西ドイツ・ミュンヘン大会

1979年-3
オランダ・アムステルダム大会

1980年-4
フランス・ブザンソン大会

1981年-5
チェコスロバキア・ブルノ大会

1982年-6
イギリス・レスター大会

1983年-7
スイス・チューリッヒ大会

1984年-8
スペイン・バルセロナ大会

1985年-9
イタリア・バッサノ大会

1986年-10
アメリカ・コロラドスプリングス大会

wikipediaより引用

 

日本大会のところを見ればわかりますけれど、1980年に中野さんは年収一億円を達成し、その後毎年のように一億円以上の賞金を

獲得してしまっているのです。一年だけではなく、毎年ですよ。

そんな事を続けて最後まで戦い続け、稼いだ総額は13億2764万677円と言われています。もう途方もなさすぎます。13億も

あれば一生働かないで暮らしていけるのですが、やはりそのような事を中野さんは選ばず、引退後も様々な役職について競輪に

関わっていたりするのです。

 

実に様々な成績を収めてきて、もう塗り替えられる事のない実勢まで作り上げてしまった中野さんですが、何も最初からこのような事が

出来たわけでもありませんし、道中に何もなかったわけでもありません。競輪というものは自転車を使ったスポーツであり、アクシデントが

あればたちまち重傷を負ってしまうなんて事も珍しい話ではありません。

 

この生ける伝説とも言われるくらいの中野さんも実に様々な重傷を負いながらも立ち上がり続けて、ここまで上がって来たのです。

いいえ、重傷と隣り合わせだったからこそ、彼はここまで上がって来て、誰にも塗り替えられない実績を作り上げる事が出来たのかもしれません。

 

塗り替えられない実績を作りたくば、重傷を負えって事でしょうかね。・・・そうだとしたら、やめてください、死んでしまいます。

 

中野さんの配偶者、子供は?

 

そんなとんでもないプレイヤーである中野さんの奥さんですが、歌手のNAOMIさんこと中野尚美さん

NAOMIさんは1987年1月に中野浩一さんと結婚なさって、現在まで夫婦生活を続けておられます。

しかし、片方は歌手で片方は世界を股にかける競輪選手。中野さんは五年以上、NAOMIさんの元へ帰らなかった事もあり、

御二方は一度は離婚も考えたそうなのですが、何とかして踏み留まり、現在に至るそうなのです。

 

そして中野さんは今年で60歳を迎えます。60歳ならば子供がいて、早いところではもうお孫さんもいるような歳ですが、意外な事に

中野さんとNAOMIさんとの間にお子さんはいらっしゃらないのです。子供がいるという情報を掴んだ週刊誌などもありません。

こういう人は子供も孫もいて、その人達も競輪に励んでいるのだろうなと思っていたのに、すごく意外です。もしいたなら、どんな

人だったのでしょうかねぇ。

 

まとめ

 

まさか世界大会を10連覇してみせた人がいて、その人が日本人であると言うのにはすごく驚きました。そして今現在も、この中野さんの

競輪以外のスポーツでも破られていません。このまま破る人無く続いていくのか、それともこの記録を破って見せる第二のナカノが現れる

のか、今後が非常に楽しみです。そうなったら、今度こそ国内外がとんでもない事になりますね。

 

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