巴里夫の死因や病名は?本名や代表作品や5年ひばり組も調べてみた

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巴里夫という方をご存知でしょうか。

この人は手塚治虫や赤塚不二夫さんのように戦後の漫画業界を支えた重要人物であり、

少女漫画を描いている人ならば絶対に知っているような人でした。しかし7月に入った今日この時、

この人に関する悲しい御知らせが入ってきました。今回はこの巴里夫さんについてまとめたいと思います。

 

巴里夫さん、天国へ。

巴里夫さん(本名:磯島重二(いそじま しげじ))さんは、戦前の1932年生まれ、

大分県中津市出身で埼玉県越谷市在住のおじいちゃんでした。

 

この人は戦後の漫画業界を支えた人の一人であり、特に進んで学園系少女漫画を描いていたため、

少女漫画業界を支えていた人と言っても過言ではありませんでした。そんな少女漫画を描いている人ならば目標にしそうな、

偉大な人の訃報は日本中を駆け巡り、衝撃を与えています。しかし、この人の訃報ニュースには、不可解な点がありまして、

それが気になっている人も多いようですし、現に筆者も気になっています。

 

死因は何なのか。

それは死因です。ニュースメディアの中では巴さんが死去した事のみが報じられており、その死因についての言及は一切されていませんでした。

そのため、彼の死因については全く情報が無い状態なのです。どんなに調べても彼が死去した事しか掲載されず、

死因についてはぼかされているだけで、ネット上では死因を気にしている人も多いです。

しかし、彼が死去した時の年齢は83歳。

 

83歳ともなれば病気を患っていても不思議ではありませんが、彼が病気をしているという情報は存在していない事から、

彼は天国へ行く手前まで完全に健康な老人であったと推測できます。そのため、彼の死因は病気とかそういうものではなく、

完全なる老い、老衰と考えてもいいのかもしれません。しかし、病気でなかったのだとすれば、彼は最期の刻まで苦しんだりだとか、

痛い思いをせずに、寿命をまっとうしたという最高の形で天国へ旅立つ事が出来たという事です。

最後まで苦しむ事もなく寿命をまっとうする事の出来たであろう彼の冥福を、祈りたいところですね。

 

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作品一覧。

とびだしたお嬢さん   十字架を返す日

空は呼んでる      思い出かあさん

 

虹をわたる日      おてんばチャコと白百合先生

 

雪割草はゆめの花   赤いクレヨン

 

5年ひばり組      陽気な転校生

 

チャオ!ミニミニ団    ふたつの星の旅

 

陽気な転校生    初恋の色は

 

疎開っ子数え唄   ドレミファ学園

 

山ねこ教室      月夜のパラソル

 

ひとみが4つ      青幻記

 

すずらんの歌手    はねっこ女学生

 

りぼんの詩集     踊れ虹っ子

 

まるくてけっこう    ド近眼ゆえに泣きをみた

 

疎開っ子数え歌   パパはマンガ家

 

あいつの口笛

wikipediaより引用

 

この中のほとんどが少女漫画であり、彼は戦後の漫画家としては珍しい少女漫画の専門家でした。

この中のいくつかは復刻されており、中でも5年ひばり組が代表作とされているようです。復刻されている今ならば、古くはあるものの、

彼の作品を手にとって読む事が出来ます。

復刻された彼の作品を楽しみつつも、このような見事な作品を世に送り出してくれた巴さんの冥福を祈りましょう。

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